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36年近くオースティンに住んで 宇田川 猛 |
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日本人会の役員の方々から、上記の題でオースチンの街の変貌やら、日米の研究環境の違いやらについて、書いてみないかという誘いを受けました。今回は後者の話題で、思い付いたことを書いてみます。 日米の研究、乃至は、社会環境の違いについて、思い当たる言葉があります。「バカの壁」などのベストセラーを著した養老孟司が、中央公論に寄せられた小論のなかで述べられた次のような言葉です。ロンドンの自然博物館に行かれた時の印象を記したものですが、 「よその国に行くと、自分の仕事がはかどる上に、信用されていると感じる。日本にいると、信用されていない上に、仕事がなんだか妨害される。なんとも奇妙である」 日英、日米の研究環境の違いを、これ程的確に言い表した言葉はないと思うので、最初に参照させて頂きました。養老氏は更にその違いが何に由来するかに言及して、 「イギリスでは“原則自由、例外規制”だが、日本は“原則規制、例外自由”」 だと述べています。私の36年近くのテキサス大学物理教室での研究、教育活動の感想も、上記の言葉に言い尽くされており、「本当に自由だった」の一語に尽きます。私自身も「アメリカ人はアメリカは自由な国だと言うけれども、私もその自由を満喫させて貰いました」とよく人に言った覚えがあります。同じような思いは、オースチンに来られた方々の多くにあるのではないかと思います。 オースチンに参る前、2年間、助教授として、京都大学の物理教室に在職致しましたが、そこでの忘れ難い経験の一つが、政府から来る研究費の使途があまりにも強く規制されていることでした。「原則規制」の一例です。私のような理論家にとっては、外から人を招いたり、又学会等へ出掛けて人と議論することが一番大事な糧となるのですが、不必要な椅子や机を買う資金はあっても、それを人を招いたり、学会に行ったりする費用に流用することは不可能でした。 アメリカでは、研究資金を獲得するのは大変でしたが、一度手にしたら、それをどのように使うかは、ある特別な場合を除いて(例外規制)、全く自由でした(原則自由)。 昨今、日本で構造改革ということがしきりに叫ばれていますが、要は「原則規制、例外自由」を「原則自由、例外規制」に変えて行くことだと思います。それにはオースチンへ来られた若い人に期待すること大です。大いに頑張って下さい。
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